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Vol.61 体験記 保健師の私が2回骨折 油断大敵な“落とし穴” 前編

2025.06.13

「骨折なんて高齢になってからの話」と思っていませんか?
女性は更年期を迎えると骨密度が急激に低下し、男性に比べて骨折しやすい傾向があります。
保健師として知識はあったのに、2回も骨折した私。前編は体験記、後編で原因と対策を考えてみたいと思います。

右手の骨折、それは初詣

一度目の骨折は1月2日、近所に初詣に行った時です。大きな石が並び、滝があるため下は濡れていました。
お賽銭の小銭を左で持って、歩いていたところを滑って右手をついたのです。
スゴイ激痛!とはいえ、見た目に折れていない。
痛くて手首が回せないけれど、お正月で病院は開いていない。
受診したのは3日後の1月5日、当時は新型コロナウイルス感染症全盛期。
腕の手術は部分麻酔なので、通常であれば外来手術でしたが、感染症の確認のために前日入院、2泊3日の入院となりました。

骨折後の生活

手術がおわれば動くようになる、私の認識は、甘いものでした。
包帯を外した手は、パンパンに腫れていて関節は曲がりません。
若い人でも3日安臥床で動けなくなると知っていたはずなのに、自分に当てはめる想像力が私にはありませんでした。

右手が使えない:日常生活編

利き手の右手が使えないと、困ることは色々ありました。
まず、食事の時にお箸が使えない。フォークとスプーンで乗り切ったものの、汁物は片手だと食べ難い。
家事全般、特に包丁が使えない。当時は朝食用にサラダを1週間分作り置きしていたのですが、千切りができません。
我が家の朝の野菜は、全てゴロゴロ野菜入りのスープになりました。

右手が使えない:仕事編

コロナの頃だったのでリモート勤務はスムーズでしたが、電話を持ちながらメモができません。
三脚にスマホホルダーを装着し、PCと並べて社用携帯を置く。
スピーカーで話しながら、PCでメモを取る。
スマホの音声入力を使ってメール返信するなど、片手でできるように工夫をしました。

右手のリハビリ

リハビリは、傷が落ち着いてから早々に始まりました。
手首を動かす筋肉は、手首から肘にかけてあります。曲げる局所だけではなく、手首を動かしながら硬いところをマッサージしてもらうと、嘘のように手首が曲がる角度が変わっていきました。

最初の頃はボールに手を載せて、手首を屈曲する練習を一日3回位、繰り返ししていました。
慣れてきたら、ペンを持って手首を曲げる運動に切り替わり。
ある程度動くようになってきたら、日々の生活がリハビリです。
荷重の目安はペットボトル1本分位=500g位ということで、キーボードを打つ、食器を洗うなど。
リハビリの最終目的は、日常生活で不自由なく動けるようになること。
当時担当の理学療法士さんが、おっしゃっていました。

患部に大きな負荷をかけること、体重を乗せて手をつく動作はしない。自転車は3ヶ月間おあずけ。
こけないように階段は手すりを持つ、ラッシュ電車は避けるようにして3ヶ月は大人しく過ごしました。

左手の骨折、雨の日のハイキング

右手骨折から2年が経ち、登山に向けてトレーニング中で、小雨の暗峠を降りていました。
右手に傘をもち、足を滑らせてお尻をついた時、着いた左手に激痛。
さすがに、すぐ「骨折」と気づきました。
そのまま降りて、近所の整形で処置をしてもらい、手術とリハビリとなりました。

右手と左手の違い

コロナ明けだったので、手術は日帰り。リハビリも早めにスタートで順調に回復。
2回目なので、回復過程のイメージがついていたのが幸いでした。
右手が使えるので、日々の食事や料理への影響も少なかった気がします。
リハビリメニューそのものは、右手の時と同じ。うっかり手をついて、体重を支えないようにと注意されていました。

3ヶ月の療養後の変化

全荷重がフリーになるのは3ヶ月が目安。
経過順調と、お正月に初釜にでかけました。
茶室では、手をついて正座のまま移動します。お部屋に入り、立ち上がろうとしたら、さっと動けない。
手をつかないようにと慎重に過ごし過ぎて、足の筋肉が衰えていたのでした。

この経験から学んだことは、人間、使わないと衰える。
娘からは「要介護にならないでよ~」と言われました。
2年前と今との差から、感じたのは、「老い」ってこういうこと?
対策は、後編に続きます。

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